2013年 12月 22日
映画 かぐや姫の物語 |
冬至のよるの今日
映画 かぐや姫の物語 を観ました。
日本最古の物語とされている『竹取物語』
それを圧倒的にストレートな、まるで本物の絵巻物のような描写で描き出している
このタイミングで、監督がこの映画を私たちに送ってくれた事、込められたメセージを、
なんとか一つでも多く受け止められたらと、
そう願わずにはいられない
姫の犯した罪と罰
それについて各々が考えよと、最初に強い宿題を出されてから始まるこの映画
原作によると、それは
月にありながら、地球に憧れることは罪であり、
罰を与えなければならない
穢れある世界で生きていき、月へと帰りたいとお前が願ったそのとき、罪を許そう
何故なら、その瞬間お前は、地球を穢れた世界と認めたということだから
と有ります。
映画では、この答えの部分がカットされて、観るものにゆだねられています。
かぐや姫は、彼女が望んだ事ではないにしろ
結果として人々を翻弄し、一人を計らずとも死にまで追いってしまいました
そして、自らこの世界に来ようと選んだのに、途中でかえりたいと願った事
つまり死を選んだ事
それも私には、彼女の犯した罪のように思えます。
「かぐや姫はいったいなぜ、何のためにこの地上にやって来たのか」との謎に思いをはせます
こんなにも色彩豊かで美しい地球
それでも、いろいろなことがうまく行かず
人々は欲にまみれ、
かぐや姫自体も、その欲の渦のなかで自分を見失ってしまう
それでも、私たちは生きていて、望んでここに生まれてきたのだと
ただ純粋に美しい世界や、美しい愛がある事を常に思い出し
懸命に生きなさいと 生まれたからには 生きなさいと
そういわれた気がしました。
そして最後の 歌 では、
ただただ命の喜びを 伝えてくれていました。
すべてを、過去も今も未来も 許してくれる
沢山のメッセージがちりばめられた、見る人に想像と感動の自由を残して
そして今の時代だからこそ、
この汚れた地球に、私たちはどう向き合うのか
そんな事まで言われていた気がします
圧倒的に無表情の菩薩さまの前では
私たちは圧倒的に小さな存在ですが
それでも、生きていかなければなりませんね
今日も懸命に 与えられた命に感謝して
自ら選んで生まれてきた事を 心に留めて
生きていこうと思います
映画 かぐや姫の物語 を観ました。
日本最古の物語とされている『竹取物語』
それを圧倒的にストレートな、まるで本物の絵巻物のような描写で描き出している
このタイミングで、監督がこの映画を私たちに送ってくれた事、込められたメセージを、
なんとか一つでも多く受け止められたらと、
そう願わずにはいられない
姫の犯した罪と罰
それについて各々が考えよと、最初に強い宿題を出されてから始まるこの映画
原作によると、それは
月にありながら、地球に憧れることは罪であり、
罰を与えなければならない
穢れある世界で生きていき、月へと帰りたいとお前が願ったそのとき、罪を許そう
何故なら、その瞬間お前は、地球を穢れた世界と認めたということだから
と有ります。
映画では、この答えの部分がカットされて、観るものにゆだねられています。
かぐや姫は、彼女が望んだ事ではないにしろ
結果として人々を翻弄し、一人を計らずとも死にまで追いってしまいました
そして、自らこの世界に来ようと選んだのに、途中でかえりたいと願った事
つまり死を選んだ事
それも私には、彼女の犯した罪のように思えます。
「かぐや姫はいったいなぜ、何のためにこの地上にやって来たのか」との謎に思いをはせます
こんなにも色彩豊かで美しい地球
それでも、いろいろなことがうまく行かず
人々は欲にまみれ、
かぐや姫自体も、その欲の渦のなかで自分を見失ってしまう
それでも、私たちは生きていて、望んでここに生まれてきたのだと
ただ純粋に美しい世界や、美しい愛がある事を常に思い出し
懸命に生きなさいと 生まれたからには 生きなさいと
そういわれた気がしました。
そして最後の 歌 では、
ただただ命の喜びを 伝えてくれていました。
すべてを、過去も今も未来も 許してくれる
沢山のメッセージがちりばめられた、見る人に想像と感動の自由を残して
そして今の時代だからこそ、
この汚れた地球に、私たちはどう向き合うのか
そんな事まで言われていた気がします
圧倒的に無表情の菩薩さまの前では
私たちは圧倒的に小さな存在ですが
それでも、生きていかなければなりませんね
今日も懸命に 与えられた命に感謝して
自ら選んで生まれてきた事を 心に留めて
生きていこうと思います
by hal_kuzuya
| 2013-12-22 18:05
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